特集:進化が止まらない!
スポーツ&テクノロジー最前線
いよいよ開幕したパリ2024。三井のすまいLOOPでは、オリンピック・パラリンピックをより深く、より多角的に楽しむべく、身体とテクノロジーの専門家4名にお話をお聞きました。それぞれの専門領域から見るアスリートとテクノロジー、最新のギア&ツール、そして、スポーツと身体の未来まで、スポーツ&テクノロジーの最前線を追いかけました。
2000年ミズノ株式会社に入社。陸上やバレーボールなどの海外チームや海外選手への販促を経て、2017年よりトップ選手向け競泳用水着「GX」シリーズの企画担当に。「GX・SONIC 6」を着用した池江璃花子選手がパリ五輪への切符を手にした。
あらゆる抵抗を減らす
速く泳ぐための水着
速く泳ぐための水着
私は2017年からトップ選手向け競泳用水着の企画をしています。開発コンセプトを定めるところから、選手や開発チームとコミュニケーションをとって形にし、マーケティングのプランニングをするまでが私の担当です。ミズノの競泳用水着では、一貫して「フラットスイム」というコンセプトで、とにかく速く泳ぐことを追求してさまざまなアプローチを続けてきました。
「フラットスイム」とは、まずは、水の抵抗を減らすこと。まっすぐな姿勢で泳ぐことができれば、正面から受ける水の抵抗が減り、速く泳ぐことができます。ミズノの水着では、テーピングや生地の配置などの構造でスイマーがなるべく少ない筋肉で効率的な姿勢を維持できるようサポートしています。また、身体に沿って流れる水の抵抗を下げるために、生地の撥水性能にもこだわっています。
これまでにも水中の生物など、自然界にある優れた機能を参考にするバイオミメティクスの視点でも水着の開発を行ってきましたが、最新の水着では蓮の葉に着目しました。水をはじく蓮の葉は平らに見えますが、ミクロのスケールで見ると実は小さなトゲがたくさんあります。その上を水がコロコロと転がるイメージです。この蓮の葉の表面構造を参考に、織り上げる糸一本一本に小さなスリットを入れて撥水性能を高めたのです。撥水力は、水の抵抗を下げるだけでなく「水中軽量」にも役立ちます。水をあまり吸わないので、軽い状態のまま水面に近いポジションで泳ぐことが可能になり、速度を上げることができるのです。
水着の開発は、まず基本設計からはじまります。「昔のこのモデルが良い」という選手がいたとしても、0.01秒でも速く泳げる科学を盛り込んで新しい提案をするのが私たちメーカーの仕事です。そのために改善点を洗い出し、シミュレーションを繰り返します。実際に水の中を泳いでいる人のデータを取り、パソコンの中で動かすのです。実際に人に泳いでもらうと、調子の波もあり定量的な比較ができないためです。データ上で、「ももの裏からお尻にかけてこういう強さのラインをいれたら」と試し、徐々に形にしていきます。
ある程度形ができたらプロトタイプを作り、実際に選手に着用して泳いでもらいます。例えば、泳いでスピードに乗ったときに浮いている感覚「浮き感」があるかどうか。具体的な言葉にしにくいスイマーの感覚までヒアリングし、最終的に選手から「速い」という言葉が出ることを終着点に、調整を続けます。この段階ではまだワールドアクアティクス(国際水泳連盟)の認証を取得していないためレースでは使えないのですが、それでも選手が「来週のレースで着たい」と言ってくれることもあります。
トップ選手にはミズノの担当者がマンツーマンでコミュニケーションをとりながら、さらに微調整を繰り返します。アスリートには感覚的な部分までヒアリングすることが欠かせません。その点、ミズノの選手担当は元スイマーなので、選手やコーチの言葉をよく理解して言語化してくれます。「レース後半に足がキツくなるので膝周りだけ緩くしたい」「レースに向けて体型を絞るのでもう少しタイトにしたい」など、さらに具体的な要望や計画を聞きながら最も速く泳げる水着を追求していきます。
あらゆるスポーツと同じく水泳の理論も日々進化しています。開発にあたっては、大学の先生やコーチに「新しいトレーニング法はあるか」「コーチングのテクニックは」「海外で最近流行っていること」などを教えてもらっています。最も速いとされる泳ぎ方に合わせて水着を開発しますから、理論が変われば水着も変わるでしょう。例えばトップ選手用の女性モデルは、肩の周りが動かしやすいよう肩甲骨が露出した形状になっています。そうすることで遠くの水をかくことができ、速く泳げるからです。しかし、近くの水をかくことで速く泳げるという理論があれば、肩の位置を固定できるようその穴を塞ぐと思います。
コーチや選手はもちろん、私たちメーカーも「速く泳ぐ」という共通の目的を追求しています。「水着に使えるんじゃないか」と蓮の葉構造の繊維を提案してくれた東レさんも、同じ目的意識を共有しているからこそ、製品化につながりました。現在の水着の開発は、技術的にこれ以上ないというレベルまできています。しかし、完成はありません。その上を常に目指していくことが大切だと思っています。
水着は選手にとって「武器」ではなく「パートナー」です。スタート位置についたとき、自分のパフォーマンスだけに集中してほしい。レースのことだけを考えてほしい。そんな100%の安心感を選手にもってもらえる水着を作りたいと思っています。
続いては、テクノロジーを活用して、スポーツ分析の分野で成果を上げる筑波大学発のベンチャー・Sportip。アスリートの世界ではどのようにテクノロジーが活用されているのか、私たちはテクノロジーをどう活かしていけばいいのか。代表の久 侑也さんにお話を聞きました。
筑波大学体育専門学群卒業。在学中は、体育・スポーツ経営学研究室での研究や障害者スポーツの普及活動などに取り組む。卒業後の2018年、筑波大学発ベンチャーとして株式会社Sportipを創業。Forbes JAPAN 30 UNDER 30 2021に選出。
動作ごとの精度を上げて
運動能力を高めていく
運動能力を高めていく
Sportipが開発するAI姿勢分析・動作分析ツール「Sportip Pro」は、写真と動画で姿勢や動作を分析し、身体の歪みや動きのクセ、「将来どうなるか」という予測、改善のための運動メニューを1秒で処方するアプリです。画像解析によって関節の位置を推定し、特定の動作における位置や動きを判断しています。「走る」「打つ」といった一つひとつの動作を要素分解し、各動作の能力を上げるために必要な情報を返すイメージです。
例えばスクワットをする際に「ひざを前に出さないように」といわれることがありますが、これまでは「なぜひざが前に出てしまうのか」の理由が特定できませんでした。可動域が狭い人もいれば、足のポジションが悪い場合もあります。「Sportip Pro」ではその原因を特定することで、能力向上をサポートしています。実際に、高校生を対象にした実証実験では、個人に処方された運動プログラムを実践してもらうことで、1ヶ月で11人中10人の短距離走のタイムが向上しました。
「Sportip Pro」はスポーツやトレーニング知識のない人でも適切な指導を行うことができるようにと開発されました。専門家のいない現場や指導者不足のチーム、学校教育の現場でも使えるので、スポーツ教育やトレーニングの現場を大きく変える可能性があります。
現在は、職場やジムなど特定の空間に入るだけで個人を特定し、自然にデータ取得ができるしくみを作ろうとしています。例えば、トレーニングジムで運動をしていると自動的に自分の動きが分析される。その結果、イヤホンからリアルタイムでアドバイスが返ってきたらおもしろいですよね。あふれる情報を取捨選択して、必要な内容だけ届ける時代が来ると思っています。
「Sportip Pro」はプロスポーツの現場でも使われています。ジュニアアスリートの場合は皆が1点に収束するように上達していきますが、トップアスリートともなると、共通性だけでなく、個別性の高いポイントが出てきます。その場合、世間一般の正解ではなく「自分自身がどう変化したか」を捉えるしかありません。1ヶ月前、1分前の自分と比べ、今自分が動いた感覚と客観的なデータを見比べながら、習得していく方法です。すべてをデータ分析に頼るのではなく、自身の感覚も研ぎ澄まして調整をかけていくのです。客観データと主観的な感覚。そのバランスがトップアスリートを作るのですが、その指導は非常に難しいものです。
競技でいうと、世界的にデータ活用が進んでいるサッカーでは、当社でも幅広いデータを取得しています。ストリートスポーツにおいては、元来、分析という発想が存在しなかったのですが、アスリートのメソッドを再現性高く実現するために、積極的にデータ分析を行なっている連盟もあります。
世界的に見ると、アメリカのスポーツマーケットは大きく、各チームにデータ分析の専門家がいます。一方で、それらを活用した指導はまだ発展途上のようです。その点に関しては、大学や我々のような企業にも責任があると思っています。トップアスリートを適切に導くためには、複合的に考えられるだけの知識や身体感覚も重要になるのです。
AIの世界は、10年前と比べると、精度や速度が格段に上がりました。加えて、遺伝子検査なども踏まえ、多様な技術があれば向いているスポーツを一部提案することもできるようになっています。ですが、一番楽しいのは、自分の好きなことで、自分が思うように上達することではないでしょうか。どうなるかわからない不確実性の中に、スポーツのおもしろさがあります。
将来的には、身体とテクノロジーとの一体性が高まり、脳にチップに埋め込むことで、頭で考えずに神経レベルで身体が反応するようなツールが実現するかもしれません。それでも「やっていておもしろい」という状態は担保したいと思います。Sportipを通じて、それぞれの競技でそれぞれの人が自分の可能性を引き出し、活躍できるような状況になることが理想です。
Sportipの原点は自分自身のスポーツ体験にあります。私は子どもの頃から野球を始めて、高校は強豪校に進学しました。ただ、そこでの指導では個人に最適な指導が届けられているとは言い難かった。結果、自分の身体に合わない練習を重ねたことで身体を壊し、野球を続けられなくなってしまいました。その時の苦しい経験から、それぞれの人にふさわしいトレーニングをするべきだという考えが生まれたのです。Sportipが追求するのは、各ライフステージで、その人にとって最適な指導を受けられる環境を実現することです。それによって、皆の健康寿命を伸ばし、生まれてから死ぬまでを健康的につなぎたいと思っています。最終的には、疾患の予防や治療までをデジタルのみで完結させるつもりなので、現在は、そのために運動指導者の目と脳の代わりを作っている感覚です。
医学知識や治療の理論は時代とともに更新されていくので、完全な正解を提示するのは簡単ではありません。その意味で、大きいプラットフォーマーと対等に戦える領域でもあります。Sportipの技術があればやれることはたくさんありますが、そうではなく「本当に社会を良くしていく」という意思を持って、正しいことに取り組んでいきたいと思います。
続いては、ご自身も車いすバスケットボールの日本代表選手として活躍し、現在は多くの選手の車いす選びをサポートしている神保康弘さん。競技用車いすがどうつくられ、選手たちに届くのか。その進化や、車いすバスケという競技の魅力について伺いました。
1992年バルセロナから2004年アテネまで、4大会連続パラリンピック出場。2000年、レイクショア財団研修生として渡米、障がい者スポーツ指導法を学ぶ。NWBA(全米車いすバスケットボール協会) デンバーナゲッツ在籍、全米選手権ベスト4。2006年より車いすメーカー松永製作所にて勤務。現在は、車いすの販売や企業アドバイザーを手掛けている。
車いすバスケを支える
オーダーメイドの車いす
オーダーメイドの車いす
私はパラアスリート引退後、長く車いす業界に身を置いてきました。現在は、アクティブユーザー向けの車いすを専門に扱っており、その多くが車いすバスケ用です。オーダーが入ったら全国各地の練習現場に出かけて採寸し、一人ひとりに合った車いすを誂えています。
車いすは座幅やホイールベース、サイドガードの高さなど、身体の大きさや状態によって合うサイズが異なりますので、しっかり身体を支えられるよう、何十項目も細かくチェックする必要があります。採寸から納品までは3~4ヶ月。1台1台がオーダーメイドで、50万円以上もする高額なものです。採寸がうまくいかないと身体に合わない車いすに乗り続けなければいけないので、リスクを最小限にするためにも信頼できる人に依頼する必要があります。
競技用車いすは身体の状態だけでなく、求めるプレースタイルによっても変わってきます。例えば、車軸の位置。前に行くほど弧を描くように回りますが、回りすぎると安定しません。逆に、後ろに行くとスピードは出ますが、ターンがしづらくなります。5ミリ単位でも変わってくるので、選手のプレーを見ながら「どんなプレーをしたいか」「どういうスタイルを目指しているか」を相談し、1ヶ月ほどかけて調整していきます。車いす選びで最も難しいのが、選手の身体の状態とプレースタイルに合わせた見立てです。私自身も選手経験があるので自分のおすすめはありますが、あくまで役割は正しい情報と選択肢を与えること。最後に決めるのは選手です。
車いすスポーツの選手は日本で2,000人程度。情報を集約してテクノロジーの力で見立てができたらいいのですが、選手たちの身体の状態もプレースタイルも異なるのでなかなかうまくいきません。情報量が少なく、仕事としてやろうという人もいないのが現状です。
世界にはいくつも車いすメーカーがありますが、日本製の車いすは圧倒的な技術力の上に成り立っています。例えば、車いすは原寸サイズの図面の上でパイプを曲げて作りますが、図面に合わせて溶接するのは時間もかかり非常に大変な作業です。当然、歪みも発生しますが、日本の技術者は歪みを取る技術が卓越しています。タイヤをつけてもキャスターが浮くこともなく、ぴったり4点接地。外国製では、こうはいきません。また、パイプは3次元に曲げることで歪みを減らし剛性を担保しています。シンプルでオーソドックスなつくりなので、細部の技術力が際立つのです。
競技用車いすの構造自体は、2、30年前から大きくは変わっていません。材質やベアリングの回りやすさなどディテールの改善はありますが、見た目の変化は大きくありません。変わったのは、開発側にきちんと意見を伝えて、改善を図るというプロセスです。ユーザーの要望や足りない部分を職人にフィードバックし、部品や車いす全体のクオリティを上げてきた結果、今があります。
車いすはアマチュア選手レベルでは、ほぼ使用感は変わりません。ただ、代表クラスの選手となると、スピードやパワー、ストレートの伸びや、回りやすさ、止まりやすさの差が重要になってきます。とくに日本代表クラスの選手たちからは、レベルの高い要求が上がってきます。例えば、こいだ時に床に当たって発生する「カンカン」という音。背後からボールを取りに行く時に音で気づかれてしまうので、なんとかしてほしいというリクエストがありました。そんな風に、通常は気づかないような部分まで、地道な改良が加えられている車いす。今日に至るまで、いろいろな努力の末に少しずつ進化してきました。それが、選手たちのパフォーマンス向上にもつながっています。
私は、事故に遭って辛い思いをしている中で車いすバスケと出会い、人生が好転しました。それからは「今後も車いすバスケに関わっていくためにどうしたらいいか」を常に考えて生きてきました。毎年春には、ライフワークの一つとして、発展途上国でスポーツの普及をする活動をしています。日本はまだまだ裕福で余裕がありますが、アフリカや東南アジアにはスポーツをやる楽しさすら知らない人も多くいます。ですから、自分の身体が動く間は、仕事やボランティアを通じて車いすバスケに関わり続けていくつもりです。
車いすバスケは誰もができる競技です。僕が立ってみんなと一緒にバスケットボールをすることはできませんが、みんなが車いすに乗ってくれたら一緒に楽しめます。年齢も性別も関係なければ、障害の有無も関係ありません。車いすに座って漕げる状況であればいいし、実力があれば天皇杯や皇后杯にも出場できます。そういう意味で、フラットなスポーツなんです。
まもなくパリでパラリンピックが始まります。試合中は普通の車いすだったらできないような高速ターンもありますし、腰を使って身体の重心を移動しながら90度直角に曲がる選手もいます。驚くような車いすさばきが見られるのを私も楽しみにしています。
最後は、テクノロジーによって人間の身体の可能性を広げる研究者・稲見昌彦さん。新しいスポーツジャンル「超人スポーツ」を開発するなど、新たな身体像を模索しています。近年注目が集まる「人間拡張工学」とは、それがもたらす未来の社会とは。研究の最前線から、これからのスポーツのあり方までを伺いました。
自在化技術、人間拡張工学の研究に取り組む。2015年、身体とテクノロジーを融合した新スポーツを発明する、超人スポーツ協会を設立。米TIME誌Coolest Invention of the Year、文部科学大臣表彰若手科学者賞などを受賞。著書に『自在化身体論』(NTS出版)他。
やりたいことを自在にできる身体へ
「人間拡張工学」とは
「人間拡張工学」とは
私は現在、人間の身体を拡張するテクノロジーを研究しており、新しいスポーツの開発にも取り組んでいます。私は、技術の方向性には大きく2つあると考えています。一つは、自動化。人間がやりたくないことを代わりにやってくれる技術です。今のAI技術の多くは自動化に含まれるでしょう。もう一つが、自在化。人間がやりたいことを支援する技術です。私が研究する人間拡張工学も「人間本来の能力を拡張する」という意味で自在化を目指すものです。自動化と自在化は対立するものでなく、相互に行き来しながら進化しますが、2つの間には「技術に任せた感覚」か「自分がやっている感覚」か、という違いがあります。
インドの経済学者、アマルティア・セン氏は、人間が社会とのつながりや平和を感じるには、自分が主体的に活動している感覚が大切なのだといいます。人間拡張工学により一人ひとりの選択の自由度が上がれば、主体的に生活できる人が増えるはずです。人間拡張工学が身体の拡張にとどまらず、誰もが「今日できなかったことが明日はできるかもしれない」と、未来に希望を持てるような心の拡張につながればと思っています。
かつて、義足をつけた走り幅跳び選手、マルクス・レームが世界選手権でリオ五輪優勝者の記録を上回ったとき「テクニカル・ドーピングだ」という批判がありました。「道具のおかげで飛んでいるのではないか」という批判です。しかしそれなら、スポーツシューズだって同じように、テクニカル・ドーピングだと言えるのではないでしょうか。 技術の進歩にレギュレーションが追いついていないのが現状です。その点は理念に則って改善していく余地があります。
パラリンピックのレギュレーションには「バネは使ってはいけない」といったような記述があります。レギュレーションは観客が応援したくなる「応援価値」との兼ね合いで定められるものですから、人はあからさまにバネがついた選手のことを応援しにくいのでしょう。私たちは単なる記録ではなく、限界を越えようとする人間を応援したいのです。しかし、バネ性のない物質はこの世に存在しませんし、「バネ」に素材や弾性率の規定もありません。
そもそも、オリンピックとパラリンピックを分けなければいけないところに、技術の敗北を感じます。技術があれば分ける必要はないのです。パラリンピックに近視部門がないのは、近視がディスアドバンテージにならない技術があるからです。将来的には、オリンピックとパラリンピックを分ける必要のないほど技術を発展させることを目指しています。
「ロックハンドバトル」。2016年に盛岡市で開催された「岩手超人スポーツハッカソン」で開発された。大きな腕「ロックハンド」を利き手に装着して対戦相手とぶつけ合い、時間制限内に相手のハンドについているロックをすべて落とすか、相手よりも多く残せば勝ちとなる。©超人スポーツ協会
「人間拡張工学」はこの10年ほど大きな盛り上がりを見せており、「Augmented Humans Conference」のような国際会議も開催されています。その成果を日々の生活の場に取り入れるために、さまざまな研究者たちと一緒に「超人スポーツ」という新しいスポーツジャンルを生み出しました。
かつて産業革命が近代スポーツの発展のきっかけとなり、情報革命でeスポーツが生まれてきました。そして今後は、人間の身体に代わるロボットが活躍する流れの中にあります。頭も身体も「自動化」していくなかで私たちは、自分たちの楽しみのためにそれらを使うことができます。そのための新しい枠組みが、超人スポーツなのです。
例えば、「スライドリフト」という超人スポーツがあります。横方向に滑ることができる車いすを使って、ドリフトなどのテクニックを駆使して競うレースです。これまで車いすは、足の不自由な人のための乗り物でした。しかし、車いすのアスリートにこの車いすに乗ってもらうと、とてもかっこよく走ってくれます。その姿を見て、「この車いすは、全ての人が気持ちよく乗られるかっこいいパーソナルモビリティになるかもしれない」と思いました。超人スポーツは、日常に新しいテクノロジーが広まるショートカットにもなるはずです。
人の能力というのは、もともと個人に備わっているものではなく、人と環境の間に存在するものです。日本語を操る私が外国に行くと、自分自身は変わっていないのに「言葉が不自由な人」になってしまう。つまり、能力は環境によって変わるわけです。であれば、なかなかスポーツで活躍できないときに、「環境を変えてみよう」と考えることができます。そこが、超人スポーツが大切にしている部分です。これまでの「する」「見る」「支える」に加えて、「つくる」も含めて関わると、スポーツの楽しみは広がります。また、スポーツだけでなく、生活空間の環境に対しても「つくる」視点を持って考えるきっかけになると思っています。
エンタメを目指して作られたスポーツが、福祉の分野で役立つこともあります。例えば、VR空間にある的を目掛けて息を吹く「VR吹き矢」。競技としてもおもしろいですが、実はこの「ふっ」と息を吹く動作が、高齢者の心肺機能や嚥下機能の向上にも役立っています。既存のトレーニングのゲームフィケーションではなく、ゲームを開発したことでリハビリにも活用できた。おもしろさや便利さを追求した先に、すべての人のためになる技術が生まれたのです。
また、聴覚障害者のための特別支援学校の修学旅行では、バスの中で皆が席についたままチャットアプリで会話をしていると聞きます。チャットアプリ自体は耳が不自由な方のために作られたものではありません。便利さを求めてコミュニケーションの形を拡張した結果、耳が不自由な方にも恩恵があったのです。ワイヤレスイヤホンにしても、スマホと組み合わせて一般化したことで補聴器よりはるかに安い価格で作れるようになり、将来的には翻訳や言い換え等現状の補聴器を凌駕する機能も実現できそうです。人間拡張工学によってアクセシビリティが向上することで、結果的に誰もが生きやすい社会の実現につながっています。
福祉支援工学のように、誰もが健常者のように生活するために「マイナスをゼロにする」ことを目指すことも大切ですが、私は「ゼロをプラスにする」「ある種のマイナスをプラスにする」ことに力を尽くすべきだと考えています。技術が民主化することによって低価格化や多機能化が進めば、アクセシビリティが向上します。それによって誰もが技術を手にすることができるようになり、社会の包括性が高まっていく。人間拡張が目指す先には、そういったインクルーシブ社会の実現があるのです。
いかがでしたか?アスリートの活躍の裏側には彼らを支える技術やテクノロジーがあり、両者は密接に関わり合いながら、より高みを目指してきたといえるのかもしれません。テクノロジーの発展はアスリートを支え、アスリートはテクノロジーの発展を加速する。そうして、技術が民主化することで、誰にとっても手が届きやすくなり、また一歩、インクルーシブな社会が広まっていく。スポーツという一連のサイクルには、そんな一面もあるようです。今年の夏はパリ五輪を眺めながら、人間の身体とテクノロジーの未来にも思いを馳せてみてください。